介護と思い

家族が認知症になった時に初めにすること。認知症を知ることの大切さ

こねこ

ある日、突然、自分の親が認知症と診断されたらどうする?

・母の物忘れがひどくなり、火を消し忘れてやかんを焦がしてしまいました。

・危ないからと、母は父から台所に入ることを禁止されてしまいました。

病院で検査を受けた結果、「レビー小体型認知症」と診断されました。

それはまるで、遠くの出来事のようで、現実味がありませんでした。

両親は、母が認知症であることをどうしても認められないようでした。

薬を飲み、通院を続けながらも、「疲れているだけ」「そのうち治る」と信じていたのです。

でも、現実は少しずつ、確実に変わっていきました。

母はあちこちに物を片付けては忘れ、父とのけんかが増えていきました。

父は几帳面で管理型の性格なので、

「なんでそんな所に隠すんや」と怒りの言葉が増えていきました。

お互いが苦しくならないようにするには、“認知症とは何か”を家族が知ることが大切だと感じ、私は認知症の勉強を始めました。

父に認知症の勉強をお願いしても、届かない現実

私は本を読み、NHKなどの番組や本を読んで、少しずつ知識を増やしていきました。

・認知症の人に言ってはいけない言葉。

・禁止よりも、一緒に楽しむ工夫を。

・できることを奪わないようにする。

・一番大切なのは、「不安にさせないこと」。

“知っている”かどうかで、家族の対応は本当に変わります。

言葉のかけ方ひとつで、認知症の人には不安にも安心にもなるのです。

今のままでは、母の不安はどんどん積み重なり、いつか介護拒否になっていく可能性が高いと思いました。

たった一冊での本でもいい。

「母の不安をわかってあげてほしい。」

だけど、父にはそれをわかってはもらえませんでした。

何度頼んでも「そんな時間はない」と言われ、本を渡してもテレビをすすめても、見てはもらえませんでした。

私は、母の不安を少しでも減らしたくて、ただその思いでいっぱいでした。

「知らないこと」からくる悲しいすれ違いが、介護には多いのかもしれません。

二人きりにはしておけないので、デイサービスへ

このまま二人きりにしておくのは難しくなり、

母はデイサービスに通うことになりました。

結果的に、母に合う温かい施設に出会えました。

そこでは、母のペースを尊重しながら入浴もサポートしてくれて、

母はしばらくの間、楽しそうに通っていました。

自分に合った施設で少しずつ笑顔が戻っていきました。

その笑顔を支えてくださった職員の方々には、今でも感謝しています。

「現実を知ること」は、逃げたいほどつらいけど

つらくて、逃げたくて、夢だと思いたくて、

でも朝になっても、何も変わっていない。

涙も止まらないし、つらくて、つらくて

それでも、頭の片隅のほんの少しでいいから、

「今、起こっていることを受け止めよう」とおもうこと。

それが、最初の一歩だと感じました。

否定して、泣いて、現実逃避してもいい。

でも、できるなら少しずつ現実に戻ってきてほしい。

・「これから先、治ることがあるかもしれない。」

・「悪い夢を見たと思って喜べる日が来るかもしれない。」

だけど、一度でいいから、受け入れてほしい。

レビー小体型認知症の進行は、思っているよりも早い場合があります。

夢の中にいるのかと思うくらいに。

母も、あっという間に私のことがわからなくなりました。

だからこそ、「そうかもしれない」と思ったら、一度でも、行動してほしい。

・「行きたかった場所」

・「食べたかったもの」

・「伝えたかった言葉」

迷う時間より、できるだけ早く行動してほしいと思います。

もしも、認知症が治ったとしても、「良いことは、何回あってもいい」と思います。

家族旅行も、「今年もみんな元気に来れたね〜」と言いながら、毎年楽しく行くことができます。

それが、後悔の少ない日々につながると思います。

やっておいて本当に良かったと思うこと

私は、母が診断を受けたとき、まず家族旅行を計画しました。

みんなが忙しくなって、ずっと行けなかった旅行。

「そんなに急がなくても」と言われたけれど、私は「早いほうがいい」思いました。

奇跡のように全員の予定が合い、近場でしたが行くことができました。

天候にも恵まれて、のんびりと過ごせた二日間。

結果的に、それが最後の家族旅行になりました。

旅先で、母は時々、私を「娘の友人」と間違えていました。 

でも私は否定せず、笑顔で会話を続けました。

しばらくすると、母は私を「娘」に戻していました。

もし、ここでわたしが否定をしていたら、母は間違えてしまったことを悲しく思っていたと思います。

あの時間を作って良かったと、今でも思います。

あのとき動いてなかったら、きっと後悔していたと思います。

会話の難しくなった母と接する今、思うこと

うそであってほしい、必ず治ると信じていいと思います。

私もそう信じていたかった。

でも同時に、家族や自分の未来の準備も少しずつ考えてほしい。

私は、今、認知症の進んだ母がどうして欲しかったのかがわかりません。

経過観察していた病院へは、もう行かなくていいのか、

最後はどうしてほしいのか。

自分が相手をわからなくても兄弟に会いたいのか、会いたくないのか。

母の友だちへの連絡はどうしたらいいの?

母の希望や、最期の時の過ごし方について聞いておけば良かったと、

今になって感じます。

50代の私と認知症の母とのこれから

普段、漠然と「どうしたらいいんだろう」とか「そうなったらいやだな」とか色々と頭の中で、想像していても、自分の親の認知症は想像を超える現実です。

とにかく、現実を受け止めきれないです。

頭が、考えることすら拒否します

逃げたい、逃げたい、なかったことにしたいです

だけど、現実は残酷で、目の前にいるその人は、明らかに今までと違う言動をしています。

そして、不安に陥っています。

家族みんなが、これから起こり得る事態に恐怖し、考えることをやめてしまいます。

だかど、一度、気づいてしまったら、どんどん、今まで見逃したかったおかしな点が、明るみになり、やっぱりそうだったのか…と思わざるを得なくなります。

親が、認知症になってしまった現実を現実として受け止めるのには、

かなりの時間とエネルギーを使います。

いつかは、起こるかもしれないその時を、50代の私たちは、自分の更年期の不調をかかえながら、対処していくことになります。

今の母と、私が思うこれから

私の母は、レビー小体型認知症です。

今の母は、もう私のことはわかりません。

表情もあまり変わらなくなりました。

表情豊かに楽しそうに話をした彼女をみることは、おそらくもうありません。

話したかったことも聞いておきたかったことも、彼女がどのようなさよならの仕方をしたかったのかも、もう相談することは出来ません。

母から教えてほしいたくさんのことの答えを考えながら、

これからの母が少しでも安心して過ごせるように、

わたしは、わたしのペースで寄り添っていきたいと思います。

母の穏やかな時間を守りながら、

私自身も無理をせず、

「今日を生きる」ことを大切にしていきたいです。

まとめ

親の認知症は、誰の身にも起こりうることです。

その瞬間、心は混乱し、逃げたくなる。

でも、今しかない瞬間があります。

知ること、寄り添うこと、自分のことも大事にすること。

それが、介護を続けるために必要なやさしさだと思います。

自分が倒れてしまわないようにほどほどを目指して……。

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